『おくりびと』を見てきた

 事前にレビューを読んでいたので、ストーリーは何となく想像がついていたのだけれど、見にいってよかったと思える映画でした。

映画『おくりびと』感想−琥珀色の戯言
FETISH STATION−映画『おくりびと』

 事前に読んだレビューは、この二つ。


 納棺師という職業は初めて知った。何となく葬儀屋さんがするのかなあと思っていた。

 その昔、看護婦という仕事をしていた頃、何度もエンゼルケアをする機会があった。外来勤務になったとき、「外来ではエンゼルケアはしないだろう」と思っていたのだけれど、その期待は見事に裏切られた。

 田舎の病院なので、救急専門外来はなく救急対応は各科でしていた。内科外来は、救急対応が多い科で、心肺停止状態で搬送されそのまま亡くなる方が多かった。そのためエンゼルケアをする機会も多くなる。『おくりびと』を見たかった理由の一つに、自分たちが送り出した後が気になっていた、というのがあると思う。


 山崎努本木雅弘が演じる「納棺師」の冷静でありながら、亡くなられた方や遺族に対する温かさみたいなもの(よい言葉が思いつかない)が印象に残った。

 『おたんこナース』の第四巻に、亡くなられた患者さんのご遺族に対して、主任が「御遺体をきれいにさせていただきますので…」と言ったところ、「看護婦って涙ひとつ見せないんだね!」と言われるシーンがある。

 自分自身、ご遺族に対して冷静さを保ちながら、冷たさを感じさせないような対応はできるんだろうか、と悩んだことがある。病棟で亡くなられた場合は、それまでの経過の中で家族の方とのかかわりもあるのだけれど、救急車で運ばれてそのまま亡くなられる場合は、いきなり御遺体と対面するような感じがあった。病院に付き添ってこられた家族の方の様子を見ながら対応するのだけれど、いつも自信がなかったような気がする。

 この映画に出てくる納棺師の所作は本当に美しかった。落ち着いた美しい所作は、遺族に安心感を与えるのかもしれないと思った。学生のときに看護技術の先生に言われた「看護婦は美的センスが必要」という言葉を思い出した。


 昨年、亡くなった父方の祖母の死顔は本当にきれいだった。94歳とは思えないくらい。死に装束は父と叔父が着せたが、死に化粧をしてくれた人が、もしかしたら納棺師さんだったのかもしれない。

閉鎖病棟についてのメモ

ゲームソフト「閉鎖病棟」販売中止を 精神科病院団体が抗議−MSN産経ニュース
上記リンクより引用

閉鎖病棟 精神保健福祉法に基づく「措置入院」など、隔離が必要と判断された精神疾患の患者を入院させる施設。原則として患者の自由な出入りは禁止される。厚生労働省によると、全国に6624棟あり、32万4335人(いずれも平成17年6月末)が入院している。

え〜32万人て確か精神科に入院している人(閉鎖病棟に限らず)の数じゃないのと思ったので調べてみました。


きっと、これ見て書いたんですね。

精神保健福祉の改革ビジョン研究ページ精神保健福祉資料

過去5年間の精神科病院数・精神病床数・精神病棟数(PDF)より
平成17年6月末の精神病棟数の合計が6624で、そのうち夜間外開放(日中は開放ということかな?)が2285、終日閉鎖が3679、それ以外(つまり開放ということか)が660となっている。

また過去5年間の精神科病院在院患者数(入院形態×処遇)(PDF)より
同じく平成17年6月末の精神科病院在院患者数の合計が32万4335人、そのうち夜間外開放処遇の人が11万1700人、終日閉鎖処遇の人が18万1405人、それ以外の人が3万1230人となっている。


あと何で「措置入院など」なんだろう。措置入院の人って2276人しかいないのに。それと隔離じゃなくて保護なんじゃないかなあ。
興味のある人は、医療保護入院措置入院で検索してみてください。

あと厚生労働省のサイトで見つけた「今後の精神保健福祉のあり方等に関する検討会」の資料として出された精神保健福祉の現状(これもPDFだ…)が、けっこう分かりやすいかもと思った。何だか眼がちらちらしてきたので寝ます。

ピアノの練習

久しぶりにピアノを弾いた。
リトルピシュナとハノンで軽く指ならし。
クラーマービューロー、バッハ インヴェンション。

その後、ドビュッシー アラベスク1番。
最初の2小節が決まりません。さらさらと流れるように弾きたいのだけれど難しい。アラベスクは盛り上がるところがあるのだけれど、そこが山場ではないような曲だなあと思う。繊細さが要求される箇所があって、そこをどれだけ美しく弾けるかなのかな。

思えば、今までの発表会でダメだったのは途中で集中力が途切れることだったのかも。難しい箇所が終わったとたん止まってしまったことがある。

「曲に集中する」ということが、よく分からなかったのだけれど、最近「集中しているのかなあ」と思うことがたまにある。あれは感覚的なものなので、言葉では説明しにくい。経験してみないと分からんかも。

ピアノを弾いたあとは、バッタリ倒れています。どんだけ体力ないんだと思う。

思い出いろいろ

まだ小学校低学年の頃、通学路でいきなりこけてしまって泣いていたところ、それを見ていた知らないおばさんが、傷の処置をしてくれたこと。
雪の日に、鍵を失くしてしまって、玄関の前で泣いていたら、隣の家の人が親が帰ってくるまで、家に入れてくれたこと。
これまた雪の日に、荷物を持っている手がかじかんで泣いていたら、知らない上級生が荷物を持ってくれたこと。


「助けられた」思い出っていっぱいあるんだよなあと思った。

たこぽんさんにお返事

続々・能書き垂れのこと−takoponsの意味

1.とっさに動けないのは、場慣れしていないから。もし次に同じ場面に遭遇した時、自分ならどう動くか?動かないか?を想定して考えることは大事。
2.余計なことをして事態が混乱するより、黙っていたほうが良い場合もある。
3.有事の際は、頭でっかちの理論派より、動けるマッチョのほうが頼もしい。
4.急を要する事態に直面していない場合、机上の空論でも自分の経験談でも感染拡大の危険性でも何でも語れるシミュレーション。(感染拡大の危険性は机上の空論ではないので誤解なきよう)
5.床のゲロをボックスティッシュを使って素手で片付けている人に対して、「ノロウィルスなどに感染する恐れがあるからゴム手袋で」と声をかけるのはアリ。そう言って注意を促すのはアリだけど、「お前も手伝え」と文句を言われる可能性はある。

うーんと、私の場合ですが「とっさに動けない」のは、周囲の状況を見たりするからだと思います。困っている当事者、その人に関係する人、周囲の人、それぞれの人の動きや表情を見て、自分はどういう役割を果たせるのか考えてから動く。率先して手伝っている人がいれば、その補佐的な役割をする。いなければ、自分が率先して行動する。そこで出遅れちゃうことが多いんだと思う。慎重と言えば聞こえがよいが、単に鈍くさいだけです。でも周囲からは落ち着いて見えるらしいです。これは個性なので、しょうがないと思う。

ちなみに土地柄なのか分からないけれど、私は「誰かが困っているのに、みんなが知らん振り」という状況に出くわしたことが、あまりありません。というか「お姉ちゃん、(って年でもないんだが)これしてくれる?」と指示されることすらあります。そういう場面を通して学ぶということは、あると思います。


3.は場合によってだと思います。例えば子どもが鼻血を出したときに、未だに「上を向いて!」とかいう人がいますが、上を向くと喉に血が流れこみやすいので、普通に座る姿勢をとって小鼻のあたりを圧迫した方がよいのです。

鼻血の止め方−鼻血ねっと

それに世の中いろんな人がいて成り立っているのだし、何人か集まれば、お互いに足りないところもカバーし合えるというのは、あるかなあと思います。間違ったことをする怖さ、というのも私は経験してきているので、なおさら慎重になるのかもしれません。


子育ての経験の有無は、けっこう大きいかなあ。私は、たまたま学童期の子どもと接する機会があったり、応急処置をする機会も多かったので、シュミレーションがわりと容易なのかなと思うし、(ゲロ吐き処理をすることも多かったし)感覚的にもOKなんですが、やっぱりダメな人はダメだと思う。健康な子どもの嘔吐物は本当に生きが良いなあと妙に感心したこともあるので、そんなことを思うのかもしれません。

というわけで箇条書きにはできなかったんですが、3以外は同意です。特に4は重要かなと思う。親をしている人から学ぶことは大きいと思います。あと専門家の人。


一人で対処するのは大変でも、ちょっと手を貸してくれる人がいると、ずいぶん助けられるものです。「そんなのできないよ〜」と思う人は小さなことからやってみればいいんじゃないかなあと思う。駅で切符の買い方が分からなくて困っている人のお手伝いをするとかね。

それと「パレアナ」の、ののかさんは違う人ですよー。すみません、ややこしくて。

自分ができることをしたらいいんだと思う

能書き垂れのこと−takoponsの意味

とっさに動けないタイプの人はいると思います。(私は、どうしようかと考えているうちにコトが進んでいっちゃうということが、結構ある)基本は「自分ができることをする」でよいと思う。人によって「得意なこと」「不得意なこと」はあると思うので。とっさに動けないのであれば、「ジロジロ見たり、あからさまに嫌な顔をしない」ということでもいいんじゃないかなあと思います。

あの記事を読んで思い出したのはここ→http://blog.goo.ne.jp/satomies/e/aa9a50733774d196c4f41946609e3047のコメント欄のS嬢さんの『「好意や行動」も、わたしは「天下の回りもの」だと思います。』という言葉だったのでした。そして、なんだかクソ真面目な自分のコメントに、う〜ん、こっ恥ずかしいと思ったりもしたのであった。

スーパー流星号

デートで軽自動車は嫌だという彼女の話で思い出した。

あれは結婚前のこと。私は元夫とすでに付き合っていたんですが、彼が乗っていたのは中古のカルタス。しかもボロかった。最近の軽の方がよっぽどいいと思う。

ボロいカルタスで略して「ボロカス」とか、ひどいことを言われながらも、けっこう思い出がありますわ。
就職してからは職場の先輩に「スーパー流星号」と名付けられたカルタス。燃え尽きるんじゃないぞ〜と言いながら、いろんなところに行きました。最後はクーラーが壊れて夏なんかは死にそうでした。いきなり煙をはいたこともあるし、ガタガタうるさかったけれど、愛着はあったなあと思う。

彼が車を買い換えるときは記念写真を撮ったよ。
お疲れ様、「スーパー流星号」ってことで。
今は、どうなっているんだろうね。鉄くずになっているのかなあ。