たこぽんさんにお返事

続々・能書き垂れのこと−takoponsの意味

1.とっさに動けないのは、場慣れしていないから。もし次に同じ場面に遭遇した時、自分ならどう動くか?動かないか?を想定して考えることは大事。
2.余計なことをして事態が混乱するより、黙っていたほうが良い場合もある。
3.有事の際は、頭でっかちの理論派より、動けるマッチョのほうが頼もしい。
4.急を要する事態に直面していない場合、机上の空論でも自分の経験談でも感染拡大の危険性でも何でも語れるシミュレーション。(感染拡大の危険性は机上の空論ではないので誤解なきよう)
5.床のゲロをボックスティッシュを使って素手で片付けている人に対して、「ノロウィルスなどに感染する恐れがあるからゴム手袋で」と声をかけるのはアリ。そう言って注意を促すのはアリだけど、「お前も手伝え」と文句を言われる可能性はある。

うーんと、私の場合ですが「とっさに動けない」のは、周囲の状況を見たりするからだと思います。困っている当事者、その人に関係する人、周囲の人、それぞれの人の動きや表情を見て、自分はどういう役割を果たせるのか考えてから動く。率先して手伝っている人がいれば、その補佐的な役割をする。いなければ、自分が率先して行動する。そこで出遅れちゃうことが多いんだと思う。慎重と言えば聞こえがよいが、単に鈍くさいだけです。でも周囲からは落ち着いて見えるらしいです。これは個性なので、しょうがないと思う。

ちなみに土地柄なのか分からないけれど、私は「誰かが困っているのに、みんなが知らん振り」という状況に出くわしたことが、あまりありません。というか「お姉ちゃん、(って年でもないんだが)これしてくれる?」と指示されることすらあります。そういう場面を通して学ぶということは、あると思います。


3.は場合によってだと思います。例えば子どもが鼻血を出したときに、未だに「上を向いて!」とかいう人がいますが、上を向くと喉に血が流れこみやすいので、普通に座る姿勢をとって小鼻のあたりを圧迫した方がよいのです。

鼻血の止め方−鼻血ねっと

それに世の中いろんな人がいて成り立っているのだし、何人か集まれば、お互いに足りないところもカバーし合えるというのは、あるかなあと思います。間違ったことをする怖さ、というのも私は経験してきているので、なおさら慎重になるのかもしれません。


子育ての経験の有無は、けっこう大きいかなあ。私は、たまたま学童期の子どもと接する機会があったり、応急処置をする機会も多かったので、シュミレーションがわりと容易なのかなと思うし、(ゲロ吐き処理をすることも多かったし)感覚的にもOKなんですが、やっぱりダメな人はダメだと思う。健康な子どもの嘔吐物は本当に生きが良いなあと妙に感心したこともあるので、そんなことを思うのかもしれません。

というわけで箇条書きにはできなかったんですが、3以外は同意です。特に4は重要かなと思う。親をしている人から学ぶことは大きいと思います。あと専門家の人。


一人で対処するのは大変でも、ちょっと手を貸してくれる人がいると、ずいぶん助けられるものです。「そんなのできないよ〜」と思う人は小さなことからやってみればいいんじゃないかなあと思う。駅で切符の買い方が分からなくて困っている人のお手伝いをするとかね。

それと「パレアナ」の、ののかさんは違う人ですよー。すみません、ややこしくて。