聴くことの大切さ

昨日、書いたことの主に後半部分に関して、なんだかすっきりしないなあと、いろいろ思い出したり考え込んだりしていたのですが、今朝タイミングよく、こんな番組がありました。


NHK生活ほっとモーニング「心通う医療のために〜患者と医師のコミュニケーション〜」

自分もそうなのだけれど患者という立場になると、なかなか医療者側に自分の要望や気持ちを伝えることが難しくなる。だいたい具合の悪いときというのは、気持ちも弱っていることが多く、何か納得がいかないことがあっても、それを伝えるエネルギーが出てこないことも多かったような気がする。


病気になるということは、その人の人生の中でとても大きな出来事で、そういうときに平静でいられることの方が珍しいのかもしれない。


病院に勤めていた頃、患者さんや患者さんの家族の方から怒りのような感情をぶつけられた経験というのは私もある。怒りをぶつけられるというのは、医療者側も動揺するもので、上手く対応できなかったこともあったと思う。ただ、よくよく話を聴いていくと、その怒りの裏には「不安」や「やりきれなさ」というものがあるのだということに気付くことがあった。


当時の私は結局、話を聴くことと、担当医に患者さんが説明を求めていることを伝えることしかできなかった。最終的に患者さんが、自分なりに気持ちの整理をつけることができたかどうかというのは分からない。


番組では患者と医療者の間で何かトラブルが起きたときに、仲介をする役割をする豊田さんという方が出てきていた。医療メディエーターというのだそうです。こういう中立的な立場の方が病院に入ることで風通しがよくなるというか、閉鎖性を少しでもなくすことができるのではないかと思った。


その中で、トイレで心臓発作を起こし亡くなられた方の話があったのだけれど、正直こういうことは家族の方はもちろんなのだけれど、医療者側にとってもやりきれない出来事だと思う。これは夜勤帯の出来事なのだけれど、私自身も夜勤中に自分の不注意から、ひやっとするようなことは何度かあった。ナースコールが次々と鳴る中で「次はあれをして、これをして…」とチェックしながら、走り回っていたのを(本当は走ってはいけないのだけれど)覚えている。多分、あれでは患者さんは声をかけにくかったろうなあと思う。


少し話がずれてしまいました。そのトイレで心臓発作を起こした患者さんの家族の方は、豊田さんという寄り添ってくれる人がいたことが、ただ一つの救いだったのかもしれない。


本来なら、患者さんの話を聴くということは、医療者の大切な役割の一つなわけで、医療メディエーターの方に頼りきりになってしまってはならないのだと思う。ただ、やっぱり日常業務に追われて十分に話を聴くことが、なかなかできない現実はあるんだろうなあと。それにしても、この医療メディエーターという仕事、患者さんの話と医療者の話の両方を聴かなければならないわけで、ものすごく大変な仕事なんじゃないかなと思ったのでした。