「弟の人生」の続き

 「弟の人生」のaozora21さんへのコメントレスから

今回の記事は弟の立場で書いていますけれど、あの物語で言えば私は「兄」の立場でもあるので、自分の弟からの視線と重なってちょっと辛いかなという思いがあります。

 元夫が出て行ったあと、弟が「姉さん早く帰ってくればいいのに。ひろ(弟の奥さん)も仲良くしたいって言ってるし」と話していたと母が言ったことがある。実際に実家に帰ってきてから弟と話すことは滅多になく、むしろひろちゃんと話すことが多い。私にとって、ひろちゃんが自分のことを受け入れてくれていることによる安心感というのは大きい。

 弟が実際に何を思っているのかは分からないけれど、私が帰ってきたことによって微妙に家族のバランスは変わってきているのだと思う。弟夫婦の家は実家の真向かいにあり、半同居みたいなものだと思う。そこに精神疾患を持つ姉が帰ってきたことによって弟夫婦がどのようなことを考え思ったのか。そのことを考えるのは私にとっては、辛いし重い。

 私がしょっちゅう連絡をとっているTちゃん。彼女は自分自身も病気を抱えていて、さらにお子さんも通院している。お互い辛いときなど電話で話す中で、Tちゃんがよく言うのは「ののかちゃんの気持ちも分かるし、お母さんの気持ちも分かる。どっちの気持ちも痛いほど分かる。だから辛い。」私はTちゃんを通して、母の気持ちを想像することがある。

 「産んだのは自分だから。原因探しをしてもしょうがない。それは分かっているんだけれど、産んだのは自分だからという思いはずっとあるよ」Tちゃんと話す中で「夫は当たらず触らずなの。私一人でどうしていいのか分からない」という言葉が出たことがあって「それは家も一緒だ」と思ったことがある。

 最近、少しずつ行くようになった生活支援センターは、敷地内にいろんな施設がある。障害者福祉センター、身体障害者協会、手をつなぐ育成会、ボランティアセンター等々。最初に見学に行ったとき、建物の中から知的障害があると思われる人たちが出てきた。そのときの自分の視線の中にあったもの。そして自分が様々な場面で投げかけられた視線の中にあったもの。それらは同じものなのかなと思うときがある。

 そこで私は考えることを止める。これ以上考えると、自分自身の心のバランスが保てなくなるから。