可能性と捨てること

たたかえマングース−選択の心がまえ


上の記事を読みながら何となく思ったこと。


私は今、30半ばなんだけれど「可能性が狭まっていく感覚」は、まだないなあと思いました。これは私がまだまだ限界を感じていない(にぶい?幼い?)からなのか分からないのだけれど。何ていうか、ここ何年間かはどんどん失っていく感覚というのがあって、今すっからかんになったような気がしている。だから、まだ容量は残っているというか、知らないこともいっぱいあるんだなあと思っている。


そしてまだまだ、新しいものを拾っていきたいし、記憶力や体力は少しずつ衰えていくのかもしれないけれど、まーだ30代でそんなことを言っていたら、つまんないなと思う。何かやろうと思っても気力がないのが辛いところではあるけれど、今はしょうがないかなという感じ。


でも、これは私が独り者だから言えることなのかしら…と思ったりもする。家族がいたら、なかなか思うように動けない感覚というのはあるのかなあ。そんなことを考えたら私は実にお気楽な身分なんだなと思う。いや実際は気楽なんてものじゃないけれど。


結婚してない、子どももいない、仕事もできない、持ってるものは病気だけ。


何かを拾うということは何かを捨てるということなのかなと思う。最近は何を捨てるのか、ということをよく考える。(という程には考えてはいないのだけれど)拾うことよりも、捨てることの方が難しいのかもしれない。