今日のはてなブックマーク

たたかえマングース:根っこは『自分の足でたつ』ということ

mongoose_kさんからトラックバックを受信して、いろいろ思い出した記事などをブックマークする。普段、放置状態のブックマーク。たまーにしか更新しないブックマーク。


「正しさを求めすぎると」という記事を書いたのは、もう一年以上も前のことなんだなあと思う。そのときについたブックマークコメントや、まなめはうすで取り上げられたときの、まなめさんのコメントを思い出す。

私、ウェブ進化論で一番得たことは、ブログはアウトプットの終着駅ではないということでした。ウェブにまず自分の現在の思っていることを書き出し−その正しさは問わず−、それを読んでくれた人のアドバイスによって何が正しいのかを探すことのできるツールなんだな、と。だから、正しいかどうかなんてとらわれずにまずアウトプットを!


まなめはうす−2006-04-06(The)より


そして「自分の足で立つ」「自尊心」という言葉を知ったのは、どこでだったろうかと思い出す。


S嬢のPC日記:「自尊心」考
S:今日の一言(今はS嬢 はてな):はてなブックマーク更新
モラルハラスメント・ブログ:離婚記念日によせて


そして再び過去記事「自己否定」での、元主治医とのやり取りを思い出す。

「それは自己否定しているのだということは、分かる?」
分かる。私は自己否定感というものが、ものすごく強い。
いつも周囲の人に対して「申し訳ない」と思っている。
生きていること自体が、申し訳ないのだ。


この頃から診察時に「自己肯定」というテーマで元主治医といろいろやり取りをしたなあと思い出す。思考と感情がぐるぐるとめぐり、解離状態になることも珍しくなかった。そして「先生は私を軽蔑しませんか?」という言葉を何度も言ったなあと思う。

ただ、自己肯定の作業ってのは、本人がやっていくもので、本人しかできないもので。
それを少しずつ少しずつやっていくことしかできないし、そしてそれが意味があるのだと思う。


S嬢 はてな−わからぬままにアレコレ/コメント欄より


元主治医は「変化」の過程を重視していたように思う。

 主治医は「一年前とは、ずいぶん変わったね」と言った。そして「あのね、ののかさんは、まだその時の出来事にとらわれていると思うんだ。コントロールされてるって言えばいいかな」「でも以前は、もっと自分を責めていた。これから、また気持ちが変化していくかもしれない。その変化を覚えていてほしいし大切にしていってほしい」と言った。

 主治医の言葉は、私には少し意外だった。これが「結論」ではないんだ。これは今の時点での「結論」なんだ。

 変化。変化。いつかまた、気持ちは変化していくんだろうか。


明けぬ夜の夢:私は何も恥ずかしいことはしていません


4月から5月にかけての診察のテーマは「自分を知る、そして自分を受け入れる」という何だかすごく大きなテーマで、途中で辛くて辛くて訳が分からない状態になったりもした。それでも「自分を許す」という過程の中で、解放感をふっと感じることもあった。
だけれど「自分を知ること」ができたかと言われると私は分からない。受け入れることができたかと言われると私は分からない。


真実というのは、常に手の届かない所にある物だ。だから僕は、決めつけをし、レッテルを貼る。「僕には分からない、だから今回はここまででやめておこう」と思考停止する。立ち止まり、そしてまたいつか、歩き出す。


あんたジャージでどこ行くの:思考停止は「『理解』という思考終了」よりはマシだろう。


自分でも何を書いているのか、よく分からないんだけれどさ。これからも私は何かを拾ったり捨てたり、時には立ち止まり、時には落ち込んだりしながら歩いていくのかなと思う。


nonoyumeのBOOKMARK/2007年06月10日