世事に疎い

この間の診察のときに、主治医に言われたのが「世事に疎い」ということ。
先生は何か大切なことを言うときに、紙に書いたりするのだけれど、そのときも何か書いているなあ、と思っていたら「世事に疎い」と書いていた。


いや、多分、その通りなので「はい、そうですか」としか言えなかったんですが。


「多分、10年経っても、ののかさんは世事に疎いと思う」と言われたのだけれど、何となく腹も立たず「そうかもしれない」と思ってしまった。


何と言えばいいのか、人をすぐ信用してしまうとか、集団の中で上手く立ち回れないとか、そういう面が私にはあって、変な例えだけれど飲み会のときにお酌をして回るというのが、ものすごく苦手で、大抵の場合固まっていることが多い。


それはもう性格的なもので、しょうがないよ、というようなことを言われました。それは育った環境によるものかしら、と思ったんですが、多分性格だと思うと言われてしまいました。


そして、そのことに関して私はずっと劣等感を持っていたのですが、変わらないのであればしょうがないな、とも思ったのでした。「変わらない」ということは、「自然にできない」ということで、他の人より努力が必要なんだと思う。


思えば私は「マイペース」だの「お嬢ちゃん」だの(もう、そんな年でもないのに)「ぼんやりしている」だの言われてきたのだけれど、そういうところを治そうと思っても治せなかった。だから対策としては「気を付ける」ということしかできないのだと思う。


そのことで馬鹿にされたりとか見下されたりとか「苦労知らず」とか、今まで言われてきましたが、何だかそれもしょうがないような気がする。


先生の言葉に何も反論しなかったのは「図星…」と思ったからで、家に帰って「世事に疎い」というのは、どういう意味か調べたんですが、今ひとつ分からない。「世事」=「俗事」とか書いてあったんですが、何だかよく分からない。


でも多分、世事に疎くない人にとっては、私はイライラする存在なんだろうな、と思う。それもまた仕方ないのかも、と思ってしまった。この、ぽかーんとした性格は治らないだろうなというのは心のどこかで思っていたので。


次回の診察まで「自分のよいところ」を考えてきて、と言われました。また難しいことを…。


でも、ここ最近の診察で、必要以上に自分を責めたりはしなくなったような気がする。あれだけ欠点を面と向かって言われて、「性格は変わらないよ」と言われても、何となく納得してしまうことが多くなった。多分「自覚しなさい」ということを先生は言いたかったんだと思う。自覚をしないと、対策のしようもないからだろうな。


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