おばあちゃんのこと

母から珍しく電話がある。父方の祖母がかなり弱ってきている、という話。お正月に会ったときは、そういう感じはしなかったので、「え?」と思う。


祖母は94歳。何となく「死なないんじゃないか」とか「100歳まで生きるんじゃないか」と思っていたのだけれど、そんなわけないか。


最初、母が「尿が出ない」と言ったときは、まずいんじゃないかと思ったのだけれど、よくよく話を聞いていくと、トイレ(といってもベッドサイドにポータブルトイレを置いているらしいのだけれど)に行くのが大変だというので、自分で水分を控えていたらしい。医師の往診を受けて、水分を摂るように促され、スポーツドリンクの薄めたものを飲んだら、出るようになったということなので、少しほっとする。


祖母は耳が遠く、補聴器をつけても、ほとんど聞こえない状態なので、説明も面倒だからと、父は私の病気のことや離婚のことは話していないということだった。それでも、結婚して何年経っても子どもが生まれず、しょっちゅう実家に療養しに帰ってきていたので、何となく事情は察していたのだろうと思う。母が祖母の顔を見に行ったときに「ののかちゃんは、まだ帰ってこないの」と言われて、あら知っているのかしらと思った、と母は言った。


父の実家は寺で、今は忙しい時期らしく、いろいろ遠慮しているところがあるんじゃないかと母は言う。まあ、そういうことも同居していないから言えるのだろうけれど。


祖母の世話を一番しているのは、従姉妹だと思う。お寺の家の三人姉妹の末っ子。軽い知的障害があって、一度は就職したのだけれど、何かトラブルがあったらしくその後は仕事はしていない。週に三回、老人保健施設にお手伝いに行っているとのこと。この従姉妹の言葉だけは、なぜか祖母に聞こえるらしく、よく「通訳」をしてくれる。


「私が帰ってくるまでは待っててね」と言っておいて、と母に伝える。母は、多分だいじょうぶだと思うのだけれど年が年だから、一応覚悟はしておいて、と言う。


旧家から寺に嫁いだ祖母の人生は、どんなものだったのかなと思う。跡継ぎとして期待されていた長男(私の父)は家を嫌って出ていった。叔父はどうなんだろうか、よく分からない。でも「継がされた」というような言葉を聞いたことはある。


いつだったか寺の行事の手伝いに行ったときに、何かのきっかけで父が大爆発して祖母を怒鳴りつけたことがあった。父に怒鳴りつけられて、身を縮めて小さな声で謝る祖母の姿を私は忘れられない。祖母ばかりか従姉妹にまで、怒鳴っていたので私は本当にその場にいるのが嫌で嫌でたまらなかった。


家庭内では見慣れた光景だったのだけれど、それを家庭の外でやられたというのが、とても恥ずかしかった。


そんなことを思い出しながら、ふと祖父の命日はいつだっただろうか、と思う。5月の末頃じゃなかったかな。祖父が亡くなってもう20年は経っている。寺はすっかり叔父たちの代になっているのだけれど、私はどこかに祖父の空気が残っているような気がする。まだ見守ってくれているという感じがいつもする。