「女」であることを意識すること

Say::So?−とある飲み会の席で思った


この記事が元になって、女とか男とか奢るとかいう記事がいろいろ読めて私は面白かったです。いやあ、みんないろんな考えを持っているんだなあと思って。私は何も考えてないんだなあ、と思いました。


ただ私が、こういうことをあまり考えずにこられたのは、「女」であることをあまり意識することのない環境だったというせいもあるのかなあなんて思いました。学生のときは、クラス全員が女子だったし、職場も女性が多いところだったので、男の人が「男」であるということに対して考える必要があまりなかったんですね。


で、過去記事を読んだところ、be_say_soさんは学生の方のようなんですが(違ってたら、すみません)学生だったらお金がないのは皆一緒なんだから、一緒でいいじゃないのかなと単純な私は思ってしまいました。

だから「これがほんとのジェンダーフリー!」なんて言われたら、私もやっぱりクラクラしてしまうと思う。いや、それは関係ないでしょ、と思ってしまうだろうし。


私は最近、すっかり飲み会というものには縁遠くなってしまったのだけれど、職場や趣味の集まりの飲み会であれば、会費は男女関係なく一緒なので、そういうことではあまり悩むことはなかったと思う。

個人的に食事をする場合は「奢るよ」と言われれば、ありがたーく奢られます。それは、その人の好意だと思うから。だいたい食事をする相手というのは、「どちらがどれくらい出すか」ということに関して、言いやすい相手ということもあるのだけれど。

あまり親しくない相手であれば、誘った方の考えにまかせます。自分が誘ったんであれば「奢るよ」ということもあるし「これだけ出してくれる?」と言うこともある。「奢られる」ことに対して自分が何かお返しをしたいのであれば「今度は奢ります」と言うこともあるし。


私が社会人になってから付き合っていた人は学生だったので、自分が奢ることが多かったです。だって私の方が稼いでいるから。それを彼がどう思っていたのかは、分からないけれど。で、時々彼がバイトで稼いだお金で奢ってくれたりするのは、まあ何か微笑ましかったなあと。おお頑張ってるじゃんみたいな感じで。


だらだら書いた割には結論らしい結論はないのですが、私の考えとしては稼ぎが多い方が奢ればいいと思うのだけれど、別にそれは無理にすることではないし、稼ぎが少なくても払えるときは払えばいいんじゃないかと思ったのでした。


蛇足
ただ、こういう考えで生きてきた自分は、病気で仕事を辞めて家庭に入ったときに、「夫に扶養される身になった」という事実をなかなか受け入れられなかったです。「稼ぐ」とか「奢る」ということに優越感を感じていた自分がいるんだろうなあと思います。