「そうか」としか思わない

姪っ子や甥っ子が生まれたときは嬉しかったし、街中で子どもを見ると可愛いなあとは思う。けれどテレビの向こうの人のことまではよく分からない。「そうか」とか「何か大変やなあ」と思いながら見ていた。
夫は以前「よその子を見るのが辛かった」というようなことを言った。それは「子どもが欲しかった」ということなんだろうか。私はその時「ああ、自分だけじゃなかったんだ」と思って泣いたけれど、心の隅っこで「それは私のせいですか」と思ったのも事実だ。
ホルモンの異常があるのは分かっている。だから治療もしてる。痛みがあるのもおかしいのかなと思って、婦人科を紹介してもらった。
月に1回、出血がある。それを見て「赤ちゃんのベッドが流れちゃった」と思うのは私だけなのかな。
まあ、今はそれどころじゃないのだけれど。


弟のところに男の子が生まれたとき、寺の叔父から立派な掛け軸が届いた。(叔父は書道の先生なのだ)それを見ながら弟の奥さんと「やっぱり男の子やしかなあ」「この子(姪っ子)が生まれたときは、こんなことなかったのにねえ」なんて話をしたことを思い出す。
父は二人兄弟の長男で、お寺を継ぐはずだったのだけれど、何やかんやと反抗して結局継がなかった。お寺の子どもたち、つまり私の従姉妹は三姉妹。男の子は生まれなかった。


弟が結婚したとき、親戚代表の挨拶で叔父が「○○(弟の名前)は、△△家の唯一の男子です」と言ったときは、あーそうですか、叔父の言いそうなことだ、と私は思っていた。
そのすぐ後に新郎の父(つまり私の父)の挨拶があって、「△△家とか□□家とかではなく、二人の家庭を作っていってください」と言ったときは、うわ、言ってくれたよ、お父さん、と思った。一緒に出席していた夫もちょっとびっくりしたらしい。
それは、その通りで正論なんだけれど、何かこうこんなところで兄弟げんかをせんでも、と思った。他の人たちは、どう思っていたか分からないけれど。まあ何というか、そういう父と叔父のやり取りを小さい頃から私は見てきて、何となく叔父と話すときは緊張してしまう。


家を継ぐとか継がないとか、男の子がどうとか、そういう価値観で見られるのは、たまらんなあと思う。そういう点では、とっくの昔に私は嫁失格になってしまう。夫の両親は、私に対して一切子どものことは言わなかった。それだけでもありがたいと思わなければいけないのだと思う。