メンヘラーという言葉

deblog:メンヘラーの言い訳が燃えないゴミである10の理由
何だか興味をひかれたので。

私はどうも「メンヘラー」という言葉には抵抗があるのだけれど、精神科に通っている人のことを「メンヘラー」と呼ぶのであれば、私もその一人なのだと思う。
最初に「へ〜」と思ったのは[ネタ]となっていることで、精神疾患てネタになるんだなあということ。メンヘラーと呼ばれる人たちは、ネタにしやすいんだなと思った。しかし病気というのは不可抗力であって、それで苦しんでいる人をネタにするのはどうかなと思う。そんな訳でネタに対して真面目に書いてみました。


うつは甘えではない
それはそうだろうと思う。病気なのだから。


病気だからと言って甘えが許されると思っていることが甘え
この場合の「甘え」というのは何をさしているのかなと思う。


「うつだから」と言えば誰からも責められない。
責められる場合もある。職場の上司や家族。一番辛いのは自分を責めることではないかと思う。


甘えるには良い言い訳がたくさんある
うつには服薬と休息が一番なので、休息することは甘えではないと思う。


甘えれば人に同情される
同情してくれるのは、同じ病気の人か、うつを病気だと認識してくれる人だと思う。でも私は同情はいらないかな。同情するなら治してくれと思う。そして繊細だろうとおおざっぱであろうと、性格が良かろうが悪かろうが病気になる人はなるのだと思う。


メンヘラーには被害者意識がある
被害者意識というのかどうかは分からないけれど「何でこんな病気になってしまったの」という気持ちが起こるのは仕方のないことかなと思う。うつの治療は根気よく続けなくてはならないので、なかなかエネルギーのいることだとは思う。


メンヘラーはニヒルである
「幸せなやつにはわからないんだよ」という言葉は、病気になれば言いたくもなるだろうとは思う。そういつまでも卑屈でいるわけにはいかないと思うのだけれど。


メンヘラーにはcultureがある
何でここだけ、英語なんだろう。理解してくれようとする人の存在は大切にしなくちゃね。


結論:メンヘラーはモラトリアムなのか?
病気になるというのは「頑張ってもどうしようもないことがある」ということを実感することだと思う。今までできていたこと(仕事や家事など)ができなくなるということにより、それまでの価値観を変えることを迫られる。そういう「できない」自分を認めることが、病気と共に生きるということなんだろうと思う。
そして自分自身について深く考えるというのは、なかなかないことなのではないか。平凡な毎日を送っていれば、そういうことは考えずに生きていけるんじゃないかと思う。なので病気になるというのは、自分を見つめなおす良い機会なのだろう。


こんな感じになりました〜。こういうのを釣られたというのでしょうか。